B型肝炎ウイルス(HBV)は、約500万年以前から人類の祖先に感染していた証拠があり現在でも地球上で約4億の人々に持続感染しています。HBV持続感染の世界分布には大きな地域差があって、東南アジアと極東に約3億人(75%)が集中し、残りは主としてアフリカに限局しています。HBVはC型肝炎ウイルス(HCV)と同様、感染者の血液によって伝搬します。二十世紀になってから、医療が進歩して、輸血と注射による治療が行われ、同時に医原性感染が発生しました。しかし、それ以前には、HBVに感染した母親から生まれてくる新生児への「母児感染」が持続感染を維持する根本的な伝搬経路でした。HBVは表面(HBs)抗原に覆われていますが、ずっと小さいHBs抗原粒子が過剰に生産され、数の上ではHBVの千倍も血液中に存在します。1964年に簡単な免疫学的方法でHBs抗原を測定できるようになりHBV感染の診断が可能となりました。1980年にHBs抗原を使ったB型肝炎ワクチン(以下ワクチンと略称します)が作られ、感染の予防もできるようになりました。日本では、効率的なHBV母児感染予防法が開発され、1986年から全国的に施行されています。その成果、1986年以後に誕生した日本人の中ではHBV感染者が0.2%以下に激減しました。HBV母児感染の予防には、世界各地の主たる感染経路に適合した効果的な方法があり、それが国策になります。今回は、日本で開発されたHBV母児感染予防法の輝かしい歴史をお話しし、次に世界規模で母児感染をどのように予防したらよいのか、を考えてみたいと思います。

HBV感染性の指標となるHBe抗原

 HBVに感染し、血清中にHBs抗原が検出される母親から生まれてくる新生児の全てが、母児感染するわけではありません。これは、血液中にHBVが沢山いて感染性の高いキャリアと、HBVが少なく感染性が低いキャリアがいるからです。でもどのような方法で、これら二種のキャリアを見分けたらよいのでしょうか?
 定期的に血液透析を受ける腎不全患者は、輸血と透析操作のために、血液伝搬性ウイルスに感染する機会が多くなります。透析患者の血液は感染性がひときわ高く、患者間だけでなく、医療従事者へのHBV感染頻度も多いことが、世界中でよく知られていました。

 HBs抗原が発見されてから8年後の1972年に、HBVに感染した透析患者の血清には際だった特徴があることが発見されました。HBs抗原以外に、もう一つのHBV関連抗原であるHBe抗原(hepatitis B e [HBe] 抗原で、略してe抗原とも云われます)が含まれていたのです(図1)。HBe抗原と対応するHBe抗体は、最も初歩的な抗原抗体検査法である、二重免疫拡散法を使って発見されました(HBs抗原とHBs抗体もこの方法で見つかったのです)。蓋がある円形ガラス容器(シャーレと云います)の中に、加熱した寒天を厚さ2〜3ミリほど流し込んで、固まるのを待ちます。そこに隣り合った丸い穴を開けて中の寒天を取り除き、それぞれにHBs抗原陽性血清とHBs抗体陽性血清を流し込みます。一晩おいて観察すると、抗原と抗体が寒天の中を拡散して、HBs抗原陽性血清(BとC)とHBs抗体陽性血清(A)との間に沈降線が出現します。ところが、よくご覧下さい。二つのHBs抗原陽性血清(BとC)の間にも、細い沈降線が見られます。これは、HBs抗原陽性血清には二種類あって、一方(C)はHBe抗原を含み、他方(B)はこれに対応するHBe抗体を含んでいるためです。二本の沈降線は交差していますので(HBe抗原の沈降線がHBs抗原の沈降線を乗り越えています)、HBs抗原とHBe抗原が、免疫学的に異なった物質であることが分かります。

 透析患者は、腎臓の機能が殆ど消失しているために、免疫機能が非常に低下しています。そのためにウイルスを免疫反応(抗体と細胞免疫)で追い払うことができにくく一旦HBVが体内に入ると持続感染しやすいのです。しかも、免疫反応低下のためにHBVが盛んに増殖し、血清1ミリリットルあたり1010個(百億個)以上にもなります。HBVが10個もあれば感染を伝搬できますので、ごく僅かな量の血液が、同じ透析センターで治療を受けている腎不全患者、あるいは彼らを治療している医療従事者の体内に侵入すれば感染を起こします。このような事情から、透析患者と透析センター従業者のHBV感染頻度が高くなるのです。

HBVが母児感染する経路と予防方法

 母親と生まれてくる新生児の間には、誕生の前後を通じて互いに密接な関係があります。誕生以前は十月十日にわたり一心同体で、常に行動を共にしますし出産後も授乳と育児に伴う一対一の宿命的な定めがあります。そのため母親がウイルスに持続感染していると、新生児の感染頻度が高くなります。母児感染には、四種類の経路があります(図2)。(1)母親の遺伝子にウイルスの遺伝子が組み込まれている場合には、卵子中にもウイルス情報があるので受精卵も感染します。但し、この「遺伝子感染」はレトロウイルスに限られ、ヒト病原性ウイルスでは知られていません。ですから、HBVではあり得ない感染経路です。(2)妊娠中に子宮内で胎児が感染する経路で「子宮内感染」あるいは「経胎盤感染」と云います。母親の血流と胎児の血流は、胎盤によって完全に分離されています。でも、胎盤に余分な圧力がかかり小さな疵ができますと、母親の血液が胎児の血流に移行します。そのため母親がHBVに感染している場合には、ごく僅かですが胎児にHBVの子宮内感染が起こる可能性があります。(3)お産の間に起こる感染で「周産期感染」あるいは「産道感染」と呼ばれています。出産時には胎児が狭い産道をくぐり抜けますから母親側にも胎児側にも擦過傷が生じる危険がとても大きくなります。そのために、母親がHBVに感染していて、しかも血液中のウイルス濃度が高い場合には、新生児に感染が起こる可能性が高くなります。この経路も「垂直感染」と云われることがありますが、厳密には身二つとなった直後、二人の個人間に起こる「水平感染」です。(4)出産後の「産後感染」があります。母親と乳児の間には緊密な関係があり、その代表が授乳です。母乳中に血液は含まれていませんが、リンパ球などの白血球は混在しています。これらの細胞にHBVが存在すれば、頻度はきわめて低いのですが、乳児が感染する可能性がない、と云いきることはできません。

 HBV母児感染の四経路は、(1)と(2)の「垂直感染」および(3)と(4)の「水平感染」の2種類に大別することができます。生下時すでに新生児がHBVに感染している垂直感染を、誕生後に予防することは不可能です。一方、水平感染である周産期感染は、誕生直後から適切な免疫予防を施行することによって阻止できますし、授乳による感染も母児感染の予防が成功すれば起こりません。念のため、乳首に疵があり出血している場合にのみ、授乳を避けることが勧められています。

 免疫予防が行われる以前のデータですが、母親がHBe抗原陽性のキャリアであれば90%にも及ぶ高い頻度で、新生児がHBVに持続感染します。一方キャリアの母親がHBe抗原陰性の場合には、児がHBVに持続感染することはありません。血液中のHBV濃度がHBe抗原陽性と陰性のキャリアの間で百万(106)倍も違うことから、このような歴然とした違いが生じます。

 HBe抗原陽性のキャリアである母親から生まれる新生児に免疫予防を行っても、児のHBV感染を100%予防する事はできません。適切な免疫予防を施行しても、約5%の児がHBVに持続感染してしまいます(図3)。これは、出産以前に子宮内でHBVが感染した結果と考えられています。HBV持続感染が成立する経路として母児感染以外にも幼少期の水平感染があります。幼い頃は免疫機能が成熟していないのでHBVに感染してもそれを外敵と認識できないのです。そのために、母児感染と同様に感染が持続します。

 年齢と共に免疫駆除機能が増強しますので新生児が成人になる課程でHBV水平感染後の感染持続率は急速に減少します(図4)。感染持続率は生まれた直後には非常に高く、その後は3歳で35%、5歳で26%、10歳で16%となりますが、15歳でも11%あります。特に、3歳から5歳までの間は水平感染後の持続感染率が、かなり高いのです。幼児期の間は、遊び仲間と接触する機会が多く、HBVに感染している幼児の血液だけでなく、唾液が遊び仲間の擦過傷に侵入しても、水平感染が起こり、持続する可能性が高くなります。後でお話しするようにHBV持続感染の原因としては母児感染より幼児期の水平感染の方が、実は3倍も多いのです。

日本で開発されたHBV母児感染の受動・能動免疫予防法

 1975年に日本から、キャリアである母親の血清中HBe抗原が、HBV母児感染の鋭敏な指標(90%が持続感染します)となることが発表され、後に世界で確認されました。対照的にHBe抗原陰性のキャリア母親から生まれてくる児では持続感染がないことが分かったのです。これを根拠とし1980年代の初めから、いくつかの都道府県で試験的にHBe抗原陽性のキャリア母親から生まれてくる新生児だけを対象とし、誕生の直後から綿密な免疫予防法が行われました。

 それによってHBe抗原陽性のキャリア母親からのHBV母児感染が、95%まで予防できることが実証されたので、1986年には国策として全国規模に拡大されました(図5)。妊娠中の母親は、全てHBs抗原を検査し、陽性の母親ではHBe抗原を測定します。HBs抗原陰性でHBVに感染していない母親から生まれる児には免疫予防を行いません。HBs抗原陽性でHBe抗原も陽性であった母親から生まれる児に限り、まず生後24時間以内にHBs抗体を含む免疫グロブリンを注射します。他人から貰った抗体を使うので、これを受動免疫と云います。

 生後2ヶ月に免疫グロブリンを繰り返し、同時にワクチンを接種します。ワクチンによって、自分がHBs抗体を産生するので、能動免疫と云っています。ワクチンは生後3ヶ月と5ヶ月にも繰り返し、併せて3回接種します。子宮内感染がないことを確認するために、生後2ヶ月にHBs抗原検査を行います。生後6ヶ月にはHBs抗原検査と併せてHBs抗体検査を行い、ワクチンによる抗体産生を確認します。

 この方法には、いくつかの優れた点があります。まず、母児感染の可能性が高いHBe抗原陽性のキャリアに誕生する新生児だけを対象として、きめの細かい受動・能動免疫を行っています。1986年の発足当時で年間約4千人の新生児に絞り込むことができ、経済効果も大きかったのです。もう一つは抗体を自分で産生する能力がない新生児にはワクチン投与を避け、即効性のある免疫グロブリンで直ちに血液中のHBs抗体濃度を上昇させ2ヶ月後にも補充することによって、周産期に母親から移行したであろう、僅かのHBVを除去した点です。HBe抗原陰性のキャリア母親から生まれてくる新生児はHBVに持続感染しませんが、ときとして急性感染することがあります。1995年以降はこれらの児にも受動・能動免疫法が拡大されましたが、2回目の免疫グロブリンは省いてもよい、とされています。

 世界中で、これほどよく考案され、選別した対象に緻密なHBV母児感染の免疫予防を行っている国は、日本以外にありません。これは、母親のHBe抗原「あり・なし」どころか、HBs抗原の陽性と陰性をも区別しないで全新生児にワクチンを行う諸外国の状況とは大きく違っています(図6)。免疫グロブリンとワクチンが両方必要なことがよく理解できる、台湾からの報告があります(表1)。なにもしない場合には、HBe抗原陽性のキャリア母親から生まれてくる児の90%が、母児感染します。ワクチンだけでも効果があり、母児感染の74%を、予防できます。ワクチンに免疫グロブリン生下時1回注射を加えると、予防率が88%に上昇し、これを2回注射しますとHBV母児感染を94%まで予防できるのです。

国家規模のHBV感染予防対策

 世界各地でのHBV感染状況を比較するため、国民のHBs抗原陽性率の違いが3段階に分けられています。HBV感染者が8%を超えれば高頻度国、2%から8%であれば中頻度国、2%未満であれば低頻度国で、それによって世界を色分けすることができます(図7)。高頻度国は、アジア、アフリカとアラスカ、オセアニアおよび南米の中部に集中しています。

 世界保健機構(WHO)が推進し世界規模で新生児の集団ワクチンが推奨され、多くの国々で集団ワクチンが始められています。しかし、ワクチンの施行状況とHBV感染実態との間には大きなズレがあります。感染頻度が低い米国では国民の86%に集団ワクチンが行われていますが、感染頻度が高い東南アジアのワクチン接種率は27%で、アフリカでも39%にすぎません。米国での新生児集団ワクチンは母児感染の予防が目的ではなく、成人してから性交渉と違法静脈注射によって一部の若い世代に伝搬する水平感染を予防するためです。一生の間に米国人の5%がHBVに感染して毎年8万人に及ぶHBV新規感染が発症すると推定されています。病院で生まれる新生児を対象とするのは、ワクチン接種の漏れがないからです。一方、アフリカでワクチン接種率が低いのは、経済的な理由ですので国際的協力によって、新生児のワクチン実施を推進することが必要です。

 国家規模で行うべきHBV感染予防対策は、各国の感染状況によって変わってきます。まず、いかなる感染経路が主体となって、国民のHBV持続感染を維持しているかを見極める必要があります。具体的には、母児感染と幼児期の水平感染いずれが主たる経路であるか、を見定める必要があります。HBe抗原陽性のキャリア母親だけが、児に持続感染を伝搬できるので、水平感染が持続感染に果たす役割は(持続感染率 [国民のHBs抗原陽性率])―(HBs抗原陽性妊婦のHBe抗原陽性率)となります。

 母児感染の受動・能動免疫予防法が行われる以前の、日本での感染状況を考えてみましょう(図8)。かつては、日本国民の2%がHBs抗原陽性でした。キャリア母親のHBe抗原陽性率は25%ありましたから持続感染のおよそ4分の1は母児感染が原因であったことが分かります。残りの4分の3は、母児感染によって、キャリアとなった幼児からHBVが遊び友達に水平感染したことが原因です。成人後に水平感染しても、それが持続する頻度は僅かに1%だけですので、このように推測することができます。日本では、感染規模が小さかったので、母児感染に的を絞った免疫予防対策が、大きな効果を発揮したのです。これにはHBVに感染した幼児から友達への水平感染をも減らす二次的効果がありました。その証拠として、1986年以降に生まれた初回献血者中のHBs抗原陽性は0.2%以下になりました。 しかし、国民の感染規模が大きな国では、母児感染予防がHBV持続感染を減少する効果が少なくなります。代表として免疫予防が行われる以前の台湾とアフリカを考えてみましょう。台湾ではHBVキャリア率が20%もあり、生殖年齢にある女性のHBe抗原陽性率は40%もありました。ですから、母児感染が国民の持続感染に占める役割は、その9割と見積もって36%もありました。しかし日本と違って、残りの全てが母児感染した幼児からの水平感染ではなく、それ以外の感染源の役割も大きかったのです。そのために1984年に開始された母児感染の受動・能動免疫予防だけでは国民のHBV持続感染が減少しなかったので、1987年には新生児の集団免疫が開始されました。その後1988年から1990年にかけ、ワクチン対象が学童から成人にまで拡大されました。新生児ワクチンと区別するために、追いかけワクチン(catch-up vaccination)と云われています。

 アフリカでも国民のHBV持続感染が20%もありますが、台湾の事情とは大分違っています。感染後にHBe抗原が急速に消失するので(アフリカ特有のHBV遺伝子型が原因です)、キャリア母親のHBe抗原陽性率が、とても低いのです。そのためにHBVの母児感染の比率がとても少ないので、母児感染の免疫予防だけでは大きな効果を期待できません。アフリカでは一般社会に潜むHBVが持続感染の主たる原因となりますから、新生児の集団ワクチンが最大の効果を発揮します。

 日本で開発された母児感染免疫予防対策の輝かしい実績が世界中に通用しないことが、よく理解できます。逆に、WHOの勧告により世界規模で推進されている集団免疫を、日本でも施行する必要があるのでしょうか? B型肝炎ワクチンは、「癌を予防できる唯一のワクチン」として、全世界193ヶ国のうち158国(82%)で既に開始されています。しかし日本では年間数百例のB型急性肝炎症例が報告されているだけです。症状がなく病院に来ないで自然に治ってしまう人もこれ以上いますが、水平感染後に感染が持続する例はごく僅かで、数パーセント以下です。しかも、不特定の同性および異性との性交渉がHBV感染の主たる原因です。それが原因でHBVに感染する危険があるからといって、新生児を含めた集団ワクチンを施行しなければならないのでしょうか? 万が一「ワクチンを接種して、HBs抗体陽性になったから、大安心」と勘違いする人がいて、性交渉にともなう感染の予防(セーフ・セックス)がおろそかになる風潮がでると、大変なことになりそうです。B型肝炎ワクチンでは、同じく性交渉で感染するHIVを予防することはできないのです。HBVは例え感染しても1%程度でしか持続感染しませんが、HIVの持続感染率はもっと高く、結果も遙かに重大です。

 日本でのHBV感染予防対策を、今後どのように進めたらよいかが専門家の間で真剣に討論されています。国情にあった納得のいく賢明な方針が早急に立てられることが期待されます。

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